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ジェイクシマブクロさんサポートアクト日記
2010年11月07日
mixiでのみ公開していました、ジェイクシマブクロさんのサポートアクト日記。
mixiをやっていらっしゃらない方々より「見れない!」「読めない!」との声を
頂きましたので、大変遅くなりましたが、ブログの方にもアップしますね。
うれしい限りです!!
日付的にさかのぼる形となってしまいますので、見やすいように下記にリンクを貼っておきますね。
長いのでお暇な時にでもご覧下さいね。
いざ出陣!
無事終了しました。
サポートアクトリポート①
サポートアクトリポート②
サポートアクトリポート③
サポートアクトリポート④
サポートアクトリポート⑤
サポートアクトリポート(最終回)
サポートアクトリポート(番外編)
mixiをやっていらっしゃらない方々より「見れない!」「読めない!」との声を
頂きましたので、大変遅くなりましたが、ブログの方にもアップしますね。
うれしい限りです!!
日付的にさかのぼる形となってしまいますので、見やすいように下記にリンクを貼っておきますね。
長いのでお暇な時にでもご覧下さいね。
いざ出陣!
無事終了しました。
サポートアクトリポート①
サポートアクトリポート②
サポートアクトリポート③
サポートアクトリポート④
サポートアクトリポート⑤
サポートアクトリポート(最終回)
サポートアクトリポート(番外編)

かっちょええぇぇ(涙)
2010年10月11日
サポートアクトリポート(番外編)
2010年09月17日
急遽、ジェイクさんの日本公演最終日である
宮崎に関係者様より、ナ、な、ナントご招待を頂きましたので、
お言葉に甘えて、半休取って行ってきました。
長くなるとまたアレなんで(^^;;手短に。
セットリストはオフィシャルにお任せします(^^;
まず、ファイナルと言う事もあって、時間が2時間40分!!
アンコールがナント4回!!(3回だったかな?)
ジェイクさん、これが終わったら大好きな日本を発たなくては
いけないのが相当寂しかったんでしょうか、1回目のアンコール
以外は自ら出てこられました。
引っ込んだかと思うと、すぐに飛び出してきて、ハイテンションで
ウクレレをかき鳴らし、背中を向ける事無くバックでゆっくり
袖に引っ込む時、両手グーを子供が「えーん、えーん

」
と泣く時のように目の所に持って行って、引っ込んだ…
かと思うとまたすぐに飛び出して。
本当にお茶目でした。
フラガールの時は天井から沢山の風船が降ってきて、
会場の皆さんが曲の間、ずっとそれをトスするもんだから、
色とりどりの風船がず~~っと飛び交って、メルヘンの世界でした。
そして、ステージの天井からは、スタッフみんなが手書きで書いた
大きな横断幕がゆっくり降りてきました。
「I L O V E U K U L E L E 」
そしてウクレレの絵。
スタッフみんなが、ジェイクさんに見つからないように
楽屋で膨らませたり、書いたりしたようです。
(後で楽屋に行ったらその作業の残骸が散らばってました(笑))
その手作り感に痛く感動してしまいました。
これら全てジェイクさんへのサプライズだったので
ジェイクさんも演奏しながら感極まっていらっしゃいました。
そして、ほぼ全ツアーにて、宮崎県が口蹄疫で観光や生産が
大変な状態になっている事に心を痛めたジェイクさんが、
宮崎のPRをした事に関して東国原知事代理より感謝状の授与。
その説明は全て日本語だったので、感謝状を受け取った後ジェイクさん、
「ちょっとだけわかった」と笑顔。またまたお茶目。
終演後、楽屋に呼んで頂いたのですが、
本当に本当に本当に感動する事がありましたので
皆さんにお伝えします。ノンフィクションです。
ジェイクさん、すぐに僕を見つけてくれて、
「ボンボサーン!オツカレサマデシター!」
ハイタッチ&ハグ。
疲れているのはジェイクさんなのにね
「キョウノステージ、ドウデシタカ!」
終始笑顔のジェイクさん。
「Impressed
Great
」と答えました。
暫くして、スタッフの方がジェイクさんを呼びに
来られたのですが、僕と握手しながら反対の手で、
僕の肩をぎゅっと握って、最後に真顔でこうおっしゃいました。
「ボンボサン、
ウクレレの生徒サンタチヲ、
ヨロシクオネガイシマス!」
そして手を振りながら足早に去っていかれました。
全く想像もしていなかったジェイクさんからの
メッセージを、僕は把握して感動するまでに
恐らく数秒かかったと思います。
日本で全く無名だった頃と、雲の上の人になった今と
何も変わらずウクレレ大好き少年のままのジェイクさん。
本当に素敵な方でした。
シマブクロさんとシモブクレさん。

ってオイ!
ps,
宮崎でまたまたKAMAKAフリペの超美人記者にお会いしたのですが、
「ボンボさん!終演後、ジェイクさんとの取材を
しますから帰らずに待ってて下さいねって言ったの
完全に忘れて帰ったでしょ~!!」
うぎゃ~!!!!!
大失態!!!!
宮崎に関係者様より、ナ、な、ナントご招待を頂きましたので、
お言葉に甘えて、半休取って行ってきました。
長くなるとまたアレなんで(^^;;手短に。
セットリストはオフィシャルにお任せします(^^;
まず、ファイナルと言う事もあって、時間が2時間40分!!
アンコールがナント4回!!(3回だったかな?)
ジェイクさん、これが終わったら大好きな日本を発たなくては
いけないのが相当寂しかったんでしょうか、1回目のアンコール
以外は自ら出てこられました。
引っ込んだかと思うと、すぐに飛び出してきて、ハイテンションで
ウクレレをかき鳴らし、背中を向ける事無くバックでゆっくり
袖に引っ込む時、両手グーを子供が「えーん、えーん



と泣く時のように目の所に持って行って、引っ込んだ…
かと思うとまたすぐに飛び出して。
本当にお茶目でした。
フラガールの時は天井から沢山の風船が降ってきて、
会場の皆さんが曲の間、ずっとそれをトスするもんだから、
色とりどりの風船がず~~っと飛び交って、メルヘンの世界でした。
そして、ステージの天井からは、スタッフみんなが手書きで書いた
大きな横断幕がゆっくり降りてきました。
「I L O V E U K U L E L E 」
そしてウクレレの絵。
スタッフみんなが、ジェイクさんに見つからないように
楽屋で膨らませたり、書いたりしたようです。
(後で楽屋に行ったらその作業の残骸が散らばってました(笑))
その手作り感に痛く感動してしまいました。
これら全てジェイクさんへのサプライズだったので
ジェイクさんも演奏しながら感極まっていらっしゃいました。
そして、ほぼ全ツアーにて、宮崎県が口蹄疫で観光や生産が
大変な状態になっている事に心を痛めたジェイクさんが、
宮崎のPRをした事に関して東国原知事代理より感謝状の授与。
その説明は全て日本語だったので、感謝状を受け取った後ジェイクさん、
「ちょっとだけわかった」と笑顔。またまたお茶目。
終演後、楽屋に呼んで頂いたのですが、
本当に本当に本当に感動する事がありましたので
皆さんにお伝えします。ノンフィクションです。
ジェイクさん、すぐに僕を見つけてくれて、
「ボンボサーン!オツカレサマデシター!」
ハイタッチ&ハグ。
疲れているのはジェイクさんなのにね

「キョウノステージ、ドウデシタカ!」
終始笑顔のジェイクさん。
「Impressed


暫くして、スタッフの方がジェイクさんを呼びに
来られたのですが、僕と握手しながら反対の手で、
僕の肩をぎゅっと握って、最後に真顔でこうおっしゃいました。
「ボンボサン、
ウクレレの生徒サンタチヲ、
ヨロシクオネガイシマス!」
そして手を振りながら足早に去っていかれました。
全く想像もしていなかったジェイクさんからの
メッセージを、僕は把握して感動するまでに
恐らく数秒かかったと思います。
日本で全く無名だった頃と、雲の上の人になった今と
何も変わらずウクレレ大好き少年のままのジェイクさん。
本当に素敵な方でした。
シマブクロさんとシモブクレさん。

ってオイ!
ps,
宮崎でまたまたKAMAKAフリペの超美人記者にお会いしたのですが、
「ボンボさん!終演後、ジェイクさんとの取材を
しますから帰らずに待ってて下さいねって言ったの
完全に忘れて帰ったでしょ~!!」
うぎゃ~!!!!!
大失態!!!!
サポートアクトリポート(最終回)
2010年09月14日
(まさかこんなにも長くなるとは思ってなかった
このサポートアクトリポート。
偶然にもツアー最終日に最終回をアップします。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。)
楽屋のドアを開けると…

物凄い数の花束が
これ、ほんの一部です。
ジーンと感動してしまいました。
僕のライブじゃないのに
この場を借りて、本当に皆様、ありがとうございました。
俺、ジャニーズだっけ?

その後、ジェイクさんにご挨拶へ。
「いっぱい間違えてごめんなさい!!」
「ダイジョブ!ボクモデスヨ!」
その間違いが一箇所も分からない僕は、
まだまだヒヨッコという事だろう。
最後にケースにサインしてもらった。

家宝。ゲット。
スタッフさんにクルマまで荷物と花束を運んで頂き、
打ち上げへGO!!

沢山の皆さんから呼んでいただいたので、一ヶ所一ヶ所、
あまりゆっくり居れなくてすいませんでした。
そして、01:30 帰宅。
もう、生春巻きを油で揚げなくて済むのだ。
ほっとする反面、物凄くサビシイ…
複雑な任務完了の夜は更けて行く。
いつの間にか就寝。
zzzz…
これで、僕のリポートを終わります。
今回の共演、ピンと来ない方がいらっしゃったら、こう説明してあげて下さい。
「素人ダンサーがマイケルジャクソンと一曲踊れるオーディション」ってね。
今回の件で、他の会場に同じくサポートアクトとして
出場された方と仲良くなれた事、mixiを通じで他県からも
沢山の応援メッセージやコメントを頂いた事、
このサポートアクトオーディションへの応募を恐喝まがいに
薦めてくれた生徒さん達。取材して頂いた朝日新聞社様、
この素晴らしいチャンスを作ってくれたジェイクさんと
スタッフの皆様、打ち上げを開いてくれた最高の仲間達。
皆さんに心から感謝します。
どうもありがとう。
30歳の時に仕事中に指を骨折し、そのリハビリで始めたウクレレ。
この時はまだ、ウクレレを触ったことも無い手。
この2年後にこの手がウクレレの先生の「手」に変身するなんて
誰が想像したでしょうか。

やがれそれがそれが本業となり、今回、神様とセッションまでしてしまいました。
転職で収入は1/3に減ってしまいましたが、やりがいは3倍以上となり、
とても充実した人生となりました。
人生何がどこでどうなるか分からないからオモロイ。
ピンチはチャンスってこの事なんだろうなあ。
骨も折ってみるもんです。
考えるに、僕が11年お付き合いをさせて頂いた、初めて出来た彼女さんの
お名前が「緑」さんというのも何かのご縁でしょうか??
関係ないか(笑)
そしてこの最終回が日本ツアー最終日にアップとなったのは
決して故意的ではなく偶然なのも何かの思し召しでしょうか??
(急遽、宮崎での最終日にご招待頂いたので仕事半休頂いて行ってきます!ラッキー!)
さてさて、
今から7年前、僕は親子の縁を切って家を飛び出しました。
順風満々にいっていたオヤジとの会社を辞職し、
音楽の道へ進むと決めた37歳の夜。
話し合いはやがて親子喧嘩へと化し、そのまま勘当。
37歳にもなって全部を捨てて、何の保証も無い音楽の道に
行くなんて、お前、頭がおかしくなったんか、
だいたい、お前みたいなもんが「先生」って柄か。
ふざけんな。
この言葉への反骨心で今まで頑張って来れました。
あれから7年。
あなたのご両親が客席に居ましたよと知人の方から聞きました。
ライブ数日前、僕の姉貴にチケットを渡しておいたんです。
気が向いたらおいでよって。
その知人の方は偶然にも僕の両親の隣だったらしく、
「全然知らないおじさんがいきなり『あれ、俺の息子だもんね』
と自慢げに話しかけてきた』と言っていらっしゃいました。
その隣に終始泣いていたオバハンが居たそうです。
母です。
来てくれたようです。
僕も少しは親孝行出来たのかな。
今度会ったとしても話す事はないと思うけど、
あなたの息子は、あなたに似てずっと頑固なバカ息子のまんまですが、
これからもよろしくお願いシマ…
終わり。
このサポートアクトリポート。
偶然にもツアー最終日に最終回をアップします。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。)
楽屋のドアを開けると…

物凄い数の花束が


これ、ほんの一部です。
ジーンと感動してしまいました。
僕のライブじゃないのに

この場を借りて、本当に皆様、ありがとうございました。
俺、ジャニーズだっけ?

その後、ジェイクさんにご挨拶へ。
「いっぱい間違えてごめんなさい!!」
「ダイジョブ!ボクモデスヨ!」
その間違いが一箇所も分からない僕は、
まだまだヒヨッコという事だろう。
最後にケースにサインしてもらった。

家宝。ゲット。
スタッフさんにクルマまで荷物と花束を運んで頂き、
打ち上げへGO!!

沢山の皆さんから呼んでいただいたので、一ヶ所一ヶ所、
あまりゆっくり居れなくてすいませんでした。
そして、01:30 帰宅。
もう、生春巻きを油で揚げなくて済むのだ。
ほっとする反面、物凄くサビシイ…
複雑な任務完了の夜は更けて行く。
いつの間にか就寝。
zzzz…
これで、僕のリポートを終わります。
今回の共演、ピンと来ない方がいらっしゃったら、こう説明してあげて下さい。
「素人ダンサーがマイケルジャクソンと一曲踊れるオーディション」ってね。
今回の件で、他の会場に同じくサポートアクトとして
出場された方と仲良くなれた事、mixiを通じで他県からも
沢山の応援メッセージやコメントを頂いた事、
このサポートアクトオーディションへの応募を恐喝まがいに
薦めてくれた生徒さん達。取材して頂いた朝日新聞社様、
この素晴らしいチャンスを作ってくれたジェイクさんと
スタッフの皆様、打ち上げを開いてくれた最高の仲間達。
皆さんに心から感謝します。
どうもありがとう。
30歳の時に仕事中に指を骨折し、そのリハビリで始めたウクレレ。
この時はまだ、ウクレレを触ったことも無い手。
この2年後にこの手がウクレレの先生の「手」に変身するなんて
誰が想像したでしょうか。

やがれそれがそれが本業となり、今回、神様とセッションまでしてしまいました。
転職で収入は1/3に減ってしまいましたが、やりがいは3倍以上となり、
とても充実した人生となりました。
人生何がどこでどうなるか分からないからオモロイ。
ピンチはチャンスってこの事なんだろうなあ。
骨も折ってみるもんです。
考えるに、僕が11年お付き合いをさせて頂いた、初めて出来た彼女さんの
お名前が「緑」さんというのも何かのご縁でしょうか??
関係ないか(笑)
そしてこの最終回が日本ツアー最終日にアップとなったのは
決して故意的ではなく偶然なのも何かの思し召しでしょうか??
(急遽、宮崎での最終日にご招待頂いたので仕事半休頂いて行ってきます!ラッキー!)
さてさて、
今から7年前、僕は親子の縁を切って家を飛び出しました。
順風満々にいっていたオヤジとの会社を辞職し、
音楽の道へ進むと決めた37歳の夜。
話し合いはやがて親子喧嘩へと化し、そのまま勘当。
37歳にもなって全部を捨てて、何の保証も無い音楽の道に
行くなんて、お前、頭がおかしくなったんか、
だいたい、お前みたいなもんが「先生」って柄か。
ふざけんな。
この言葉への反骨心で今まで頑張って来れました。
あれから7年。
あなたのご両親が客席に居ましたよと知人の方から聞きました。
ライブ数日前、僕の姉貴にチケットを渡しておいたんです。
気が向いたらおいでよって。
その知人の方は偶然にも僕の両親の隣だったらしく、
「全然知らないおじさんがいきなり『あれ、俺の息子だもんね』
と自慢げに話しかけてきた』と言っていらっしゃいました。
その隣に終始泣いていたオバハンが居たそうです。
母です。
来てくれたようです。
僕も少しは親孝行出来たのかな。
今度会ったとしても話す事はないと思うけど、
あなたの息子は、あなたに似てずっと頑固なバカ息子のまんまですが、
これからもよろしくお願いシマ…
終わり。
サポートアクトリポート⑤
2010年09月13日
あれ?
なんかヤバイ気配。
よくよく考えたら…
「ここでスタンバイして下さい」と言われた場所は、
舞台袖のかなり奥の奥。
もう「どうぞ~!」ってジェイクさん言っちゃってるし
ここから歩いたらステージから見える所までこのペースで
歩いたら絶対ヤバイよな。
「どうぞ~!」から僕が見えるまで
な~んか変な間が出来るんじゃないかい?こりゃ?
はい、頂きました、
案の定、ヘンな間。
皆さん、スイマセン。あれでも見えるギリギリまで小走りしました。
そして、いよいよ、念願のステージへ!!
ウクレレ始めて13年。ここまで長かった~。
ジェイクさんに僕から握手。ジェイクさんから僕にハグ。
お互い、グー
をぶつけ合う。
「So,ボンボさんは、In the熊本、ウクレレの先生。
今夜、学生さん(生徒さん)もいっぱい来ていますねえ。
Please say some message to your students
」
…
と言われても…
ジェイクさん、ジェイクさん!マイクこっちに向けてくれないと
とりあえず口をパクパクしてたらやっとジェイクさんが
気がついてくれ、マイクを向けられ、一言。
「生徒さ~ん、手を挙げてみてくださ~い。」
なんじゃそりゃ。
<<注>>松田優作風に発声して下さい。
チーン。はいインタビュー終了。
「さっきのサウンドチェック、スゴーイ楽しかった!
ウクレレセッション、スゴーイ温かい気持ちになった。」
この「温かい」はたぶん、僕がLow-Gだからかな。
MIDORIは僕の中で新緑が勢いよく太陽に向かって伸びるイメージ。
だから直前の曲は「TAIYO」なのかなと勝手にセットリストを
見た時に思った。
ジェイクさんの高音がその伸び盛る茎と葉なら、
僕は低音でそれをしっかり支える大地と根を表現しようと
敢えてLow-Gをチョイスしてみた。
「今日はホント嬉しい。
それでは、MIDORI、宜しくお願いします」
小さく深呼吸して、会場を見渡すと、
最前列ほぼ右から左、生徒さん。その後ろも生徒さん、
生徒さん、生徒さん、生徒さんだらけ。
緊張150%だけど、この時は既に心地よい緊張に変わっていた。
ジェイクさんのカウント。
リハ一回目は声。二回目はミュートストラム。
絶対本番違うんだろうなと思ってたら、案の定、
3拍目までは声とミュートストラムの合わせ技、そして
4拍目はナント!!ザぼんちのおさむちゃんが
頭を叩いた時に舌で出す「タン!」って音。
直前に吹き出しそうになるのを必死にこらえるのが精一杯。
そして、2分40秒の夢の共演がいよいよスタートした。
お互い目配せしながら音で会話をする。
音楽家だけに許された心地いいひと時。
会場から大きな大きな、それはそれは大きな手拍子。
(皆さん、本当にありがとうございます)
とにかくミスタッチより構成が飛ばないように練習した
甲斐あって、大きなミスも無く(言い換えれば小さなミスは
数知れず)進んでいく。
ブリッジに差し掛かる。二人の掛け合いの場所。
「ボンボさ~~~ん!!」ジェイクさんが叫ぶ。
「なんだ~い、ジェイクぅ」。音で答えた(つもり)。
これは深夜にやってるアメリカのテレビ通販風に発声してね。
ジェイクさんの澄み切った高音。
ウクレレとは思えないほどサスティーンの利いた音。
ダダリオの弦が振動し、神の指先から音楽が湯水の如く溢れる。
その湯水に包まれるように僕の音に命が吹き込まれていき、
その二つは空中で一つに融合されていく。
(なんか官能小説みたくなってきたからこの辺で)
そして、エンディング。
決まった
リハの時、ちょっと息が合わず僕が0.1秒くらい遅れたので
ヨカッタ。
「ボンボサ~ン!!スゴ~イ!!カンペーキー!!」
あざす、あざす、あざ~す
社交辞令でもお世辞でも嬉しい!!!
鳴り止まない拍手。感動。感動。感動。
お決まりのハイタッチ。
っと思いきや、ジェイクさん、グー同士のタイプご希望だったらしく、
僕はパー
、ジェイクさんはグー
で、な~んか
へ~ンなキャッチボールコントみたいになってしまった。
しかもスゴイ高い位置で。
ま、いっか。無事終わってヨカッタ。
控え室に戻り、ウクレレを置き、あとは客席から残りの
コンサートを鑑賞。
(僕が客席に戻るまでの間、「ヨロシクオネガイシマボンボ」って
ジェイクさんが言ったという多数の情報あり。
超ウレシイ!!!)
僕は一列目だったので、その後何度もジェイクさんと目が合い、
何度も笑顔を交わせた。
ハイナホー前に、再度MCで僕を紹介してくれたので
立ち上がり180度振り返って大きく手を振る。
そしてライブ終了。
沢山の人から声をかけてもらう。知らない人からも。
本当、皆さんありがとう、僕のライブじゃないのに
なぜだか一気にマイミクが増えたし(爆)
音響オペレーターさんにお礼を言いに行く。
「こんなにいい音でプレイしたの、生まれて初めてです!
スゴイ!!サイコー!!ありがとうございました!!」
音響さん、東京から来られた方なのに、すっごくシャイで
照れながら「どもっ
」いい人なんだろうなあ…。
そして、楽屋に戻ると・・・・
ぎょえ~!!!
もう、このくだりも最後なのでお許しあれ。
お決まりの、
つづく。(次回最終回。こうなったら一冊の本にまとめようかな)
なんかヤバイ気配。
よくよく考えたら…
「ここでスタンバイして下さい」と言われた場所は、
舞台袖のかなり奥の奥。
もう「どうぞ~!」ってジェイクさん言っちゃってるし

ここから歩いたらステージから見える所までこのペースで
歩いたら絶対ヤバイよな。
「どうぞ~!」から僕が見えるまで
な~んか変な間が出来るんじゃないかい?こりゃ?
はい、頂きました、
案の定、ヘンな間。
皆さん、スイマセン。あれでも見えるギリギリまで小走りしました。
そして、いよいよ、念願のステージへ!!
ウクレレ始めて13年。ここまで長かった~。
ジェイクさんに僕から握手。ジェイクさんから僕にハグ。
お互い、グー


「So,ボンボさんは、In the熊本、ウクレレの先生。
今夜、学生さん(生徒さん)もいっぱい来ていますねえ。
Please say some message to your students

…
と言われても…
ジェイクさん、ジェイクさん!マイクこっちに向けてくれないと
とりあえず口をパクパクしてたらやっとジェイクさんが
気がついてくれ、マイクを向けられ、一言。
「生徒さ~ん、手を挙げてみてくださ~い。」
なんじゃそりゃ。
<<注>>松田優作風に発声して下さい。
チーン。はいインタビュー終了。
「さっきのサウンドチェック、スゴーイ楽しかった!
ウクレレセッション、スゴーイ温かい気持ちになった。」
この「温かい」はたぶん、僕がLow-Gだからかな。
MIDORIは僕の中で新緑が勢いよく太陽に向かって伸びるイメージ。
だから直前の曲は「TAIYO」なのかなと勝手にセットリストを
見た時に思った。
ジェイクさんの高音がその伸び盛る茎と葉なら、
僕は低音でそれをしっかり支える大地と根を表現しようと
敢えてLow-Gをチョイスしてみた。
「今日はホント嬉しい。
それでは、MIDORI、宜しくお願いします」
小さく深呼吸して、会場を見渡すと、
最前列ほぼ右から左、生徒さん。その後ろも生徒さん、
生徒さん、生徒さん、生徒さんだらけ。
緊張150%だけど、この時は既に心地よい緊張に変わっていた。
ジェイクさんのカウント。
リハ一回目は声。二回目はミュートストラム。
絶対本番違うんだろうなと思ってたら、案の定、
3拍目までは声とミュートストラムの合わせ技、そして
4拍目はナント!!ザぼんちのおさむちゃんが
頭を叩いた時に舌で出す「タン!」って音。
直前に吹き出しそうになるのを必死にこらえるのが精一杯。
そして、2分40秒の夢の共演がいよいよスタートした。
お互い目配せしながら音で会話をする。
音楽家だけに許された心地いいひと時。
会場から大きな大きな、それはそれは大きな手拍子。
(皆さん、本当にありがとうございます)
とにかくミスタッチより構成が飛ばないように練習した
甲斐あって、大きなミスも無く(言い換えれば小さなミスは
数知れず)進んでいく。
ブリッジに差し掛かる。二人の掛け合いの場所。
「ボンボさ~~~ん!!」ジェイクさんが叫ぶ。
「なんだ~い、ジェイクぅ」。音で答えた(つもり)。
これは深夜にやってるアメリカのテレビ通販風に発声してね。
ジェイクさんの澄み切った高音。
ウクレレとは思えないほどサスティーンの利いた音。
ダダリオの弦が振動し、神の指先から音楽が湯水の如く溢れる。
その湯水に包まれるように僕の音に命が吹き込まれていき、
その二つは空中で一つに融合されていく。
(なんか官能小説みたくなってきたからこの辺で)
そして、エンディング。
決まった

リハの時、ちょっと息が合わず僕が0.1秒くらい遅れたので
ヨカッタ。
「ボンボサ~ン!!スゴ~イ!!カンペーキー!!」
あざす、あざす、あざ~す

社交辞令でもお世辞でも嬉しい!!!
鳴り止まない拍手。感動。感動。感動。
お決まりのハイタッチ。
っと思いきや、ジェイクさん、グー同士のタイプご希望だったらしく、
僕はパー


へ~ンなキャッチボールコントみたいになってしまった。
しかもスゴイ高い位置で。
ま、いっか。無事終わってヨカッタ。
控え室に戻り、ウクレレを置き、あとは客席から残りの
コンサートを鑑賞。
(僕が客席に戻るまでの間、「ヨロシクオネガイシマボンボ」って
ジェイクさんが言ったという多数の情報あり。
超ウレシイ!!!)
僕は一列目だったので、その後何度もジェイクさんと目が合い、
何度も笑顔を交わせた。
ハイナホー前に、再度MCで僕を紹介してくれたので
立ち上がり180度振り返って大きく手を振る。
そしてライブ終了。
沢山の人から声をかけてもらう。知らない人からも。
本当、皆さんありがとう、僕のライブじゃないのに

なぜだか一気にマイミクが増えたし(爆)
音響オペレーターさんにお礼を言いに行く。
「こんなにいい音でプレイしたの、生まれて初めてです!
スゴイ!!サイコー!!ありがとうございました!!」
音響さん、東京から来られた方なのに、すっごくシャイで
照れながら「どもっ

そして、楽屋に戻ると・・・・
ぎょえ~!!!
もう、このくだりも最後なのでお許しあれ。
お決まりの、
つづく。(次回最終回。こうなったら一冊の本にまとめようかな)