(まさかこんなにも長くなるとは思ってなかった
このサポートアクトリポート。
偶然にもツアー最終日に最終回をアップします。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。)
楽屋のドアを開けると…
物凄い数の花束が
これ、ほんの一部です。
ジーンと感動してしまいました。
僕のライブじゃないのに
この場を借りて、本当に皆様、ありがとうございました。
俺、ジャニーズだっけ?
その後、ジェイクさんにご挨拶へ。
「いっぱい間違えてごめんなさい!!」
「ダイジョブ!ボクモデスヨ!」
その間違いが一箇所も分からない僕は、
まだまだヒヨッコという事だろう。
最後にケースにサインしてもらった。
家宝。ゲット。
スタッフさんにクルマまで荷物と花束を運んで頂き、
打ち上げへGO!!
沢山の皆さんから呼んでいただいたので、一ヶ所一ヶ所、
あまりゆっくり居れなくてすいませんでした。
そして、01:30 帰宅。
もう、生春巻きを油で揚げなくて済むのだ。
ほっとする反面、物凄くサビシイ…
複雑な任務完了の夜は更けて行く。
いつの間にか就寝。
zzzz…
これで、僕のリポートを終わります。
今回の共演、ピンと来ない方がいらっしゃったら、こう説明してあげて下さい。
「素人ダンサーがマイケルジャクソンと一曲踊れるオーディション」ってね。
今回の件で、他の会場に同じくサポートアクトとして
出場された方と仲良くなれた事、mixiを通じで他県からも
沢山の応援メッセージやコメントを頂いた事、
このサポートアクトオーディションへの応募を恐喝まがいに
薦めてくれた生徒さん達。取材して頂いた朝日新聞社様、
この素晴らしいチャンスを作ってくれたジェイクさんと
スタッフの皆様、打ち上げを開いてくれた最高の仲間達。
皆さんに心から感謝します。
どうもありがとう。
30歳の時に仕事中に指を骨折し、そのリハビリで始めたウクレレ。
この時はまだ、ウクレレを触ったことも無い手。
この2年後にこの手がウクレレの先生の「手」に変身するなんて
誰が想像したでしょうか。
やがれそれがそれが本業となり、今回、神様とセッションまでしてしまいました。
転職で収入は1/3に減ってしまいましたが、やりがいは3倍以上となり、
とても充実した人生となりました。
人生何がどこでどうなるか分からないからオモロイ。
ピンチはチャンスってこの事なんだろうなあ。
骨も折ってみるもんです。
考えるに、僕が11年お付き合いをさせて頂いた、初めて出来た彼女さんの
お名前が「緑」さんというのも何かのご縁でしょうか??
関係ないか(笑)
そしてこの最終回が日本ツアー最終日にアップとなったのは
決して故意的ではなく偶然なのも何かの思し召しでしょうか??
(急遽、宮崎での最終日にご招待頂いたので仕事半休頂いて行ってきます!ラッキー!)
さてさて、
今から7年前、僕は親子の縁を切って家を飛び出しました。
順風満々にいっていたオヤジとの会社を辞職し、
音楽の道へ進むと決めた37歳の夜。
話し合いはやがて親子喧嘩へと化し、そのまま勘当。
37歳にもなって全部を捨てて、何の保証も無い音楽の道に
行くなんて、お前、頭がおかしくなったんか、
だいたい、お前みたいなもんが「先生」って柄か。
ふざけんな。
この言葉への反骨心で今まで頑張って来れました。
あれから7年。
あなたのご両親が客席に居ましたよと知人の方から聞きました。
ライブ数日前、僕の姉貴にチケットを渡しておいたんです。
気が向いたらおいでよって。
その知人の方は偶然にも僕の両親の隣だったらしく、
「全然知らないおじさんがいきなり『あれ、俺の息子だもんね』
と自慢げに話しかけてきた』と言っていらっしゃいました。
その隣に終始泣いていたオバハンが居たそうです。
母です。
来てくれたようです。
僕も少しは親孝行出来たのかな。
今度会ったとしても話す事はないと思うけど、
あなたの息子は、あなたに似てずっと頑固なバカ息子のまんまですが、
これからもよろしくお願いシマ…
終わり。